まさか渡辺明竜王が阪田流向かい飛車を指していたとは・・・

2016年9月8日の王将戦二次予選、▲佐藤天彦名人 vs △渡辺明竜王戦の棋譜を見てびっくりしました。

渡辺明竜王が阪田流向かい飛車を指していた・・・

竜王の阪田流向かい飛車を見たのはもちろん初めてです。というか、阪田流向かい飛車自体が現在のプロ棋戦ではほとんど指されていないはずで、少なくとも最近の記憶にはありません。

戦法の存在自体を忘れているわけではないのですが、何しろ最近の棋譜がないので、将棋戦法大事典(振り飛車編)でも棋譜がなくて困っていました。そんな戦法です。

阪田流向かい飛車の序盤

まず、阪田流向かい飛車がどういう戦法かというと、

佐藤天彦名人vs渡辺明竜王戦(序盤の出だし)

図1では普通、△8八角成▲同銀△2二銀の一手損角換わりが普通ですが、阪田流向かい飛車では△3三角▲同角成△同金(図2)とするのが序盤のポイントです。

佐藤天彦名人vs渡辺明竜王(阪田流向かい飛車の出だし)

普通、3三の地点に金がいる形は悪形です。金がうわずっていますし、桂馬の当たりになりやすいからです。

しかし、阪田流向かい飛車では気にせずに△3三同金。そして、△2二飛と回ったところが阪田流向かい飛車の基本図です。(図3)

佐藤天彦名人vs渡辺明竜王(阪田流向かい飛車の基本図)

古い戦法ですが、定跡化されているはずで、昔の将棋世界の付録で阪田流向かい飛車をテーマにしたものを読んだ記憶があります。

それにしても、いきなり阪田流向かい飛車を指された佐藤天彦名人は驚いたでしょうね。

佐藤天彦名人 vs 渡辺明竜王の対局の進行

図3から少し進みますが、9筋の端歩も受けずに、早くも△2四歩から仕掛けます(図4)。飛車先の逆襲が阪田流向かい飛車の狙い筋です。

佐藤天彦名人vs渡辺明竜王(阪田流向かい飛車の仕掛け)

少し進んでそっぽの△1四金(図5)。次に△2六歩と伸ばすのが狙いですが、こんなそっぽに金が行って大丈夫なのでしょうか?

もしかすると、定跡化された一手なのかもしれませんが。

そっぽの△1四金

先手が▲2七歩と受けたので2筋は収まります。図6は、後手が△6三銀と上がった手に対して、先手が▲7八金と上がった局面です。

先手は銀冠

先手は銀冠の堅陣で端の位も取っている。それに対して、後手は薄そうな形で端も詰められています。1四の金は相変わらず端っこにいます。後手は角を手持ちにしているのと、2筋を圧迫しているのが主張です。

図6で、△6三銀から木村美濃への組み替えだと思っていたら、次の一手は△7二金ではなく△7二玉(図7)。そして、次の△5二金で右玉のような囲いになります。

木村美濃にしても、端が詰められていて狭いし、先手玉に堅さ比べで勝つのは不可能です。それなら、玉の広さで対抗しようというのが△7二玉からの構想でしょう。

△7二金ではなく△7二玉

さらに進んで、図8の△6三玉。入玉を狙っていそうな後手玉です。

△6三玉の局面

この局面を見て、後手が渡辺明竜王だとわかる人はあまりいないのではないでしょうか。

むしろ、銀冠穴熊で玉が堅い先手の方を、渡辺竜王が持っていると勘違いしそうです。たとえば、▲渡辺vs△糸谷戦と言われた方がしっくりきます。

ここからさらに局面を進めて、図9の△4五玉のところでは完全に入玉コースです。

完全に入玉コース

以下、しばらくして先手の佐藤天彦名人が投了に追い込まれています。

渡辺明竜王はどうして阪田流向かい飛車を指そうと思ったのか?

どうして渡辺明竜王は阪田流向かい飛車を指そうと思ったのでしょうか?

そのヒントの一つが、将棋世界2016年7~8月号に掲載された『中原誠十六世名人×渡辺明竜王:スペシャル対談』にあると思います。

この対談はかなり面白くて、中原誠十六世名人と渡辺明竜王が、中原時代の昔の将棋をテーマにしながら、現代将棋が忘れたものは何かと問いかけています。ちなみに、本局のような入玉戦も一つの話題になっています。

渡辺明竜王は中原将棋をよく並べているらしいです。

もちろん中原誠十六世名人は、一時代を築いたタイトル通算64期の大名人なので、「中原将棋を並べていない方がむしろおかしい」というのが普通の感覚でしょう。

ただし、渡辺明竜王の場合は、単に大名人の棋譜だから並べているというわけではなく、かなり明確なビジョンを持って中原将棋の研究をしているようです。

その辺りは、『渡辺明の思考(2014年)』に詳しく書かれています。

羽生さんの将棋は、さきほども名前を出させていただきましたが、中原先生の「自然流」に近いと思っています。・・・中原先生や羽生さんは、将棋においては達観しているところがあるのか、強い個性やこだわりが少ない。だから自然な指し手が多くなるんだと思います。・・・羽生さんに勝つために、過去のどういった人の将棋をお手本にしようかと考えます。(中原将棋は今でも参考に)なります。大いに参考になります。欲をいえば、中原先生の全盛期と羽生さんの全盛期の将棋が50局ぐらいあればいいのにと思います。

『渡辺明の思考(2014年、渡辺明著)』

要するに、羽生対策が大きな理由の一つのようです。そのために、中原将棋を熱心に研究していて、昔の将棋に触れる機会も多いというわけです。

そしてもう一つ、

多くの戦型で、終盤の入り口まで研究が進んでいます。すると、棋士もそのデータで戦わざるを得ないんです。いまはコンピュータの研究は誰でもできてしまうから、余計に終盤の入り口まで同じに進みやすい。それは僕も危惧しています。・・・みんな、どこまでコンピュータで調べられているのか、探りながら指していて、その息苦しさを感じています。

渡辺明竜王(将棋世界2016年8月号のスペシャル対談より)

このような問題意識を抱えているようです。

これに対する渡辺竜王の答えの一つが、コンピュータ将棋の影響を色濃く受けている流行最先端の将棋ではなく「昔の将棋を指す」ことだと思います。さらに言えば、玉の堅さを重視する現代的な将棋ではない、阪田流向かい飛車のように玉が薄い将棋や、入玉模様になりやすい将棋にも注目しているということでしょう。