王座戦五番勝負第1局(羽生善治王座 vs 糸谷哲郎八段)の感想

2016年9月6日に行われた王座戦五番勝負第1局(▲羽生善治王座 vs △糸谷哲郎八段)の感想です。

棋譜:2016年9月6日 王座戦五番勝負第1局 ▲羽生善治王座 vs △糸谷哲郎八段

1週間ぐらい前に行われた将棋ですが、「形勢判断」という観点からとても面白かったので記事にしてみました。

戦型は一手損角換わりの先手棒銀です。

糸谷八段の得意戦法が一手損角換わりであることは有名ですが、もともと一手損角換わりという戦法は勝率があまり高くないので(4割とか)、指しこなせる棋士は限られています。特に、玉を堅くしづらいのが勝ちにくい原因だと思います。その「玉の堅さ」の問題が端的に表れたのが本対局です。

王座戦(羽生善治王座vs糸谷哲郎八段):糸谷哲郎八段の構想

序盤のポイントは上図の△6五歩です。△7三角の狙いですが、後手の陣形はかなりまとめづらそうです。すでに3筋に手がついているので、右側へは玉を囲いづらい。この後、△4二飛と飛車を転換するのですが、△6五歩が伸びすぎな感じで、左側にも玉を囲いづらい。いったいどうするのかと思っていたのですが、結局、中盤の終わりあたりまで糸谷玉は居玉のままでした。玉を囲えなくても、盤面全体としてまとめようという驚きの構想です。

王座戦(羽生善治王座vs糸谷哲郎八段):銀損覚悟の角打ち

局面が進んで、本局の最大のポイントが上図の▲2六角です。△3六歩と銀を取られて銀損になってしまいますが、▲5三角成から飛車を取って戦えるという判断です。

しかし、上図の後手陣はすごい形をしています。左側は木村美濃になっていて、右側は金が1枚足りない銀立ち矢倉のような形になっています。どちらも好形なのですが、それらが左右に分裂していて、その真ん中に居玉の王様がいるというワケのわからない陣形です。

一方で、先手陣は金銀3枚の矢倉でセオリー通りの玉形です。

▲2六角以下、△3六歩▲5三角成△5二銀▲4二馬△同玉▲8一飛(下図)と進みます。

王座戦(羽生善治王座vs糸谷哲郎八段):ここでの形勢判断は?

これで戦えるというのが羽生王座の判断ですが、形勢判断の4要素で考えてみましょう。

①駒の損得:「歩2 vs 銀」で、一般的には銀損。しかし、銀5点、歩1点×2、とすると一応3点差(2倍すると6点差)です。後手の歩切れを考慮すると、単純に銀損とは言えないと思います。

②玉の堅さ:先手玉は金銀3枚の矢倉でわかりやすい。△3三角がにらんでいますが、▲2八飛が守りに働いています。普通の矢倉が少し乱されて弱体化しているぐらいの印象です。

一方で後手玉は、一応金銀3枚が近くにいますが、△4二玉型で入城していませんし、金銀3枚は離れています。

③駒の働き:後手陣はバラバラなので駒の働きは先手の方が良いです。後手陣には取られそうな駒がたくさんあるのが気になります。

④手番:後手。しかし、▲8一飛より厳しい手がなかなかない。実戦は△6四角ですが▲1八飛と逃げられて、そこで指し手が難しかったようです。次に△6五銀の疑問手を指してしまい形勢が先手に傾きました。

ざっくり言うと、「先手は銀損に近いけど、後手陣はバラバラでまとめにくい」という状況です。このような状況は評価が難しいですね。

銀損だと、他の場所でどのくらい得をしなければいけないのでしょうか?

ポイントとしては、

  • 歩得で相手が歩切れ。
  • 歩切れだと▲9一飛と香車を取ったときの価値が高くなる。
  • 後手玉は入城していなくて不安定。
  • △7二金は底歩が打てないと働きが悪い。
  • なんといっても▲8一飛が厳しい。

などなどです。

考えてみると、先手が良さそうなポイントがたくさんあります。それでも、▲2六角は驚きというプロ棋士の感想を聞くと、やはり銀得というのはかなり大きいということでしょう。

最終的には読みなのでしょうが、「この形なら銀損でもいい勝負」という直感が最初にあって、それで深い読みを入れるわけです。▲2六角から勝ちを引き寄せた羽生王座の判断が印象的な一局でした。