駒の価値の研究シリーズの第3回目です。今回は「香」が主役です。数学的な手法を用いて香の価値を推定します。
駒の価値の研究シリーズ(No.3)
前回:将棋の駒の価値のスピード仮説と仮想駒「跳」
次回:香の価値の確率分布と香の格言
このページの目次
前回の「駒の価値のスピード仮説」とは?
前回の記事(将棋の駒の価値のスピード仮説と仮想駒「跳」)における仮説3は、「歩」、「桂」、「銀」、「金」の4種類の駒の価値を上手く説明することができました。仮説3は次のようなもので、「利きの数」と「スピード」から駒の価値を推定します。
仮説3:駒の価値は、(利きの数)×(スピード)である。
しかし、前回の議論では、飛び駒である「香」、「角」、「飛」を棚上げにしていました。どうして、飛び駒を棚上げにしていたかというと、その理由は単純で、仮説3では飛び駒の価値を上手く説明できないからです。
香の利きの数とスピードの問題点
最初に、飛び駒の中で、最もシンプルな駒である香について考えてみましょう。
香の利きの数は、1マスから8マスまでの8通りの場合があります。この時点で、仮説3における「利きの数」をどのように評価したらよいのか?という問題が発生します。前々回の記事(将棋の駒の価値の理論化:谷川理論からのスタート)では、仮説1を考えた時に、香の利きの数を大雑把な平均値として「4.5」と推定しました。結果として、香の価値が「4.5点」と過大評価されてしまいました。(ちなみに、谷川理論による香の価値は「3点」です。)
香のスピードについても、「1手で1マス」しか進めない場合から、「1手で8マス」も進める場合まであり、「1手で1マスから8マスまで」の8通りの場合があります。利きの数の平均値を推定する場合と同じように、香のスピードの平均値をどのように推定したら良いのか?という問題が発生しますが、ひとまずその問題を置いておくとしても、香のスピードの平均値が1より大きな値になるのは明らかです。すると、「利きの数」の時点で既に過大評価(4.5点)になっているのに、さらに「1より大きなスピードの値」を掛け算するということですから、「なおさら過大評価がひどくなる」という結論は目に見えています。
香の価値の過大評価の原因
香の価値の過大評価の原因として、次の2つの可能性が考えられます。(あるいは、両方とも原因である可能性もあります。)
(1)香の「利きの数」の平均値の推定が良くない。
香の利きの数の平均値の推定方法はかなり大雑把でした。他の駒の存在を全く考えていない方法といえます。実戦では、敵の駒と味方の駒を含めて盤上に多くの駒があり、香の利きを邪魔します。
(2)仮説3(および仮説2)における「駒の価値は駒のスピードに比例する」という仮定がそもそも間違い。
仮説1の「駒の価値(点数)は、利きの数と同じである」については、すべての駒の価値を大雑把につかむことに成功していました。(参考記事「将棋の駒の価値の理論化:谷川理論からのスタート」)
しかし、仮説3(および仮説2)の「駒の価値は、駒のスピードに比例する」は、桂の価値を説明するための仮説で、桂でしか成り立たない可能性も十分に考えられます。つまり、「桂でしか成立しない特殊な仮定を、すべての駒に一般的に当てはめようとしたのが間違い」である可能性です。
このような、2つのミスの可能性があるのですが、2つを一緒に考えると混乱するので、1つずつ検証したいと思います。そこで、過大評価の可能性が濃厚な「利きの数」の方を最初に見直します。
香の利きの数の平均値の見直し
上記の(1)の「香の利きの数の平均値」の算出について、もう少し細かく考えてみましょう。
香が盤面の何段目にあるか
まず考えるべきことは、香が盤面の何段目にあるか(または打たれるか)です。
香の利きは、二段目では1マス、三段目では2マス、四段目では3マス・・・と一段下がるにつれて1マスずつ増えていき、九段目では最大8マスの利きがあります。(一段目の香は行き場のない駒なのでルール上打てません。)
仮に、二段目~九段目までに香がある確率を、それぞれ8分の1で等確率と仮定します(数学の確率の問題では、しばしばこの「等確率」の仮定が用いられます)。すると、
香の利きが1マス(香の位置が二段目)である確率は8分の1
香の利きが2マス(香の位置が三段目)である確率は8分の1
香の利きが3マス(香の位置が四段目)である確率は8分の1
・・・(以下、同様で)・・・
香の利きが8マス(香の位置が九段目)である確率は8分の1
となるので、香の利きの数の期待値を数学的に求めると、
(1マス×1/8)+(2マス×1/8)+(3マス×1/8)+・・・+(8マス×1/8) = 4.5マス
となります。ちなみに、「期待値」というのは上記のように計算した確率的な平均値のことです。この「4.5」という数字が、前々回の記事で求めた、香の利きの数の大雑把な平均値になります。
そして、このように求めた確率的な平均値(期待値)では、香の価値を過大評価してしまうということでした。
香の利きがどこでさえぎられるか
どうして、このような過大評価が起こってしまうのでしょうか?
現実の将棋の盤上では、香以外の多くの駒が存在しているので、香の利きがさえぎられることが多々あります。この効果を無視すると、香の利きの数の「期待値」を過大評価してしまいます。
二段目の香は利きがさえぎられることはありません。利きは必ず1マスです。
三段目の香は利きがさえぎられる場合があり、利きは1マスか2マスのどちらかです。
四段目の香も利きがさえぎられる場合があり、利きは1~3マスのいずれかです。
五段目の香も利きがさえぎられる場合があり、利きは1~4マスのいずれかです。
・・・(以下、同様で)・・・
九段目の香も利きがさえぎられる場合があり、利きは1~8マスのいずれかです。
(ただし、味方の駒にヒモをつけている場合も「利き」に含めています。)
例えば、三段目の香は、利きが1マスか2マスのどちらかですが、それぞれ2分の1の確率とします。すると、三段目の香の利き数の「期待値」は、次の式で計算されるように1.5マスとなります。
(1マス×1/2)+(2マス×1/2) = 1.5マス
同じように、
(1マス×1/3)+(2マス×1/3)+(3マス×1/3) = 2マス(四段目の香について)
2.5マス(五段目の香について、同様の計算で)
3マス(六段目の香について、同様の計算で)
・・・
4.5マス(九段目の香について、同様の計算で)
となります。
この計算によって、「香がある特定の段目にある場合の、利きの数の期待値」が求められたわけです。
香の価値は2.75点?
再び、二段目~九段目までに香がある確率をそれぞれ8分の1の等確率とする仮定をすると、(香の利きがさえぎられる可能性も考慮した場合の)香の利きの数の期待値を求められます。
(1マス×1/8)+(1.5マス×1/8)+(2マス×1/8)+・・・+(4.5マス×1/8) = 2.75マス
この2.75マス(2.75点)という値は、谷川理論(香3点)にかなり近い値となっています。
すなわち、
「香の利きをさえぎる駒を考慮に入れて、確率的な平均値(期待値)を求める」
という計算手法を用いると、仮説1でかなり良い値を得られるということです。
上記の計算結果を香に適用すると、仮説1による駒の価値は、
歩:1点(1マス)
香:2.75点(2.75マス)
桂:2点(2マス)
銀:5点(5マス)
金:6点(6マス)
さて、仮説1でそれなりに上手く説明できてしまうと、仮説3(および仮説2)における「駒のスピード」の概念はどこへ行ってしまうのでしょうか?
また、仮説1では相変わらず桂の価値を過小評価しています。
香の2.75点は本当に適切な値なのでしょうか?
飛車と角の価値はどうなるのでしょうか?
今回の成果の一つは、仮説1(および仮説3)による香の価値の見積もり精度が上がったことです。しかし、上記のように、まだまだ多くの課題が残っています。これらの課題については、次回以降のテーマにしたいと思います。