今年の将棋界の大きなニュースとして、佐藤天彦名人の誕生は記憶に新しいところです。
名人位を奪取する前も、王座戦と棋王戦の挑戦など目覚ましい活躍が続いていました。
もう一つ、最近の将棋界で常にホットな話題となっているのが将棋ソフト関連です。
電王戦FINALから1年以上が過ぎた現在でも、最も刺激的な話題であり続けています。
今回の記事では、「佐藤天彦名人×将棋ソフト」をテーマにして考えたいと思います。
渡辺明竜王や羽生善治三冠にも登場していただきました。
佐藤天彦名人はどのくらい将棋ソフトを使っているのか?
話題の新書『不屈の棋士(大川慎太郎著、講談社現代新書、2016年)』の前書きによると、
佐藤天彦名人「研究の中でソフトが占める割合は3割くらい」
『不屈の棋士(大川慎太郎著、2016年)』
ん?
3割ってそれなりの割合ですね。
いやいや、「研究の中の」3割だからそんなに大したことないかも?
プロ棋士の主な勉強方法は、実戦、詰将棋、研究(棋譜並べなどを含む)の3つです。
ただし、プロ棋士同士の研究会で行われるVS(1対1の練習対局)などは、上の3つの中では「実戦」に入りますが、これを「研究」と呼ぶプロ棋士もいると思います。
佐藤天彦名人の言う「3割」が、将棋の勉強全体の中での3割なのか、狭い意味での「研究」の中での3割なのかは不明です。
仮に、狭い意味での研究の割合を5割とします(実戦、詰将棋を除いて)。最新流行形を頻繁に採用している佐藤天彦名人なので、研究の割合は低くはないでしょう。
すると、5割の3割なので、ソフト研究が占める割合は15%ということになります。
将棋の勉強全体の3割だった場合は、そのままなので30%です。
どちらかは不明ですが、佐藤天彦名人が将棋ソフトを使っている割合はおおよそ15~30%と予想できます。
15~30%という数字は多いのか? それとも少ないのか?
たとえば、1日7時間将棋の勉強をした場合、15%で1時間ぐらいになるので、15~30%は1日1~2時間ぐらいです。
じゅげむ自身は何らかのプロフェッショナルではないので実感はわかないのですが、たとえば、「1日7時間ぐらい練習に費やしているプロの音楽家が、1日1~2時間はコンスタントに時間をかける練習法」と考えてみたらどうでしょうか?
名人、けっこうソフト使ってるよ・・・
少なくとも、将棋の勉強全体の中で、ソフト研究が主要な一部分を占めているのは間違いないと言えます。
将棋ソフトで研究することは、やっぱり重要なんでしょうか?
しかし、渡辺明竜王は(勝敗については)ソフトの影響はあまりないと言っていますし、実際のところはどうなんでしょうか?
渡辺明竜王と佐藤天彦名人の比較
弱点を補うためにソフトを使うのが効果的というのがじゅげむの説です。
あくまでも、単なる仮説です。
渡辺明竜王と将棋ソフト
出典:https://kifulog.shogi.or.jp/kiou/
まず、逆にソフトで強化できる部分が自分の弱点ではない場合はどうか?
たとえば、渡辺明竜王は研究家でスペシャリストとして有名です。もともと序中盤の研究は将棋界トップクラスで、他のトップ棋士と比べても強みがある部分と言えるでしょう。
もちろん、渡辺明竜王は将棋ソフトの有無は関係なく超強い棋士です。さらに言えば、ソフトがない将棋界の環境の方が有利な棋士だと思います。
実は、以前の記事で引用した「現状ソフト研究が浸透していても、勝つ人は以前と変わっていません。」という渡辺明竜王のコメントには、
渡辺明竜王「・・・将棋連盟がソフトを配布するぐらいなら、いっそ禁止した方がいい気がします。これは大事なことですが、現状ソフト研究が浸透していても、勝つ人は以前と変わっていません。」
という前置きがあるんですね。
渡辺明竜王が「将棋ソフトは禁止になってもいい」と思っているのは間違いないです。このことから推察すると、渡辺明竜王は「ソフトがない環境の方が自分にとって有利」だとおそらく自覚しています。
そして、ソフトがない環境の方が竜王にとって有利な理由は、将棋ソフトで強化できる部分と渡辺明竜王の本来の強みが近いからだと思います。すなわち、ソフト研究の広がりによって、将棋界全体の序中盤の研究レベルが上がると、渡辺明竜王の本来の強みを生かしにくくなるというわけです。
それに加えて、もう一つ気になる点があります。
評価値という数値による形勢判断が将棋ソフトの特徴です。最近はソフトの影響で、点数で形勢判断をする棋士が増えているそうです。
しかし、渡辺明竜王はもともと(コンピュータ将棋の影響とは関係なく)、加点・減点方式に近いやり方で形勢判断をしていたようです。
僕は現役屈指の理論派ですから。たとえば桂得してプラス何点。その後にミスをしてマイナス何点というように差し引きしています。
すなわち、形勢を数値化するという手法は、渡辺明竜王にとっては何ら目新しい技術ではないということになります。既に、あの形は何点ぐらいで・・・という感覚が染みついているので、ソフトの形勢判断の手法から学べることは少ないでしょう。
さらに付け加えると、渡辺明竜王の長所の一つが無理気味の攻めをつなぐ技術です。この点についても、将棋ソフトから学びやすい部分と竜王の強みに似たところがあります。将棋ソフトに感化されて、攻めへの意識を高め、結果を出している他のプロ棋士はいます。しかし、渡辺明竜王はもともとその部分を大きな強みの一つとして勝負してきた棋士なので、やはり将棋ソフトから学べることは相対的に少ないと思います。
佐藤天彦名人の場合
一方で、佐藤天彦名人は、(渡辺明竜王と比べると)研究家やスペシャリストとしてのイメージが薄いです。あくまでも、渡辺明竜王と比較すると・・・という話です。竜王の場合は「徹底したデータ調査」「(ぬいぐるみなどの)収集癖」「好き嫌いの激しさ」「理論化への志向」など、研究家やスペシャリストになりやすい性質がこれでもかというぐらいに重なっている感じです。それに比べると、佐藤天彦名人のスペシャリスト的な性質はやや弱そうです。
もちろん、佐藤天彦名人が「横歩取り」を得意としていることは有名です。ものすごく研究しているでしょうし、結果を出しているので、横歩取りのスペシャリストと言ってもいいと思います。しかし、忘れてはならないのは、横歩取りを外された時でも佐藤天彦名人は非常に強いということです。佐藤天彦名人の本来の強みが、おそらく別のところにあるからです。
それでは、佐藤天彦名人の本来の強み(それも、トップ棋士の中でも際立つような強み)というのは、どのような点にあるのでしょうか?
この問いに対するヒントとして、渡辺明竜王の次のコメントを引用します。
彼の(佐藤天彦名人の)形勢判断は、棋士の平均よりも互角の範囲が広いんだと思います。
『将棋世界2015年11月号、p.24』
これが本当だとすると、佐藤天彦名人の大きな特徴です。また、名人の将棋観がよく現れていると思います。しかし、形勢判断が細かくなくて大らか(悪く言えば大雑把)であることは、強みというよりもむしろ大きな弱点にはならないのでしょうか?
ところで、中原誠十六世名人が楽観派であったことは有名です。楽観的であることも、「形勢判断における大らかさ」と捉えることができます。高いレベルの将棋では、わずかな優勢を得るために激しく競り合いますので、形勢判断の大らかさはやはり将棋の弱さに結びつくと考えてしまいそうです。しかし、ご存じのように、中原誠十六世名人は一時代を築いた将棋界の歴史の中でも指折りの大棋士です。
面白いのは、「形勢判断を細かくすることが必ずしも有利には働かない」という可能性があることです。それどころか、中原誠十六世名人や佐藤天彦名人の例を考えると、「形勢判断の大らかさが強みにすらなり得る」ことが示唆されます。
中原誠十六世名人や佐藤天彦名人に共通する(かもしれない)3つの強み
「形勢判断の大らかさが強みにすらなり得る」・・・これは一体どういうことなのでしょうか?
3つの観点から考えたいと思います。
1つ目は、中終盤の強さです。中終盤が同世代の奨励会員や他のプロ棋士と比べて強ければ、微差で悪いぐらいの局面から逆転勝ちすることが多くなります。そうすると、勝利の経験という実感を伴って、「このくらいはいい勝負」と判断される形勢の幅が広くなるのは自然です。中原誠十六世名人も佐藤天彦名人も中終盤の強さは共通しています。
しかし、この場合は「中終盤の強さ」が本質的な強みであって、「形勢判断が大らか」なことが有利な要素になり得ることの説明にはならないです。「中終盤が強く」かつ「形勢判断が細かい」であってもよいからです。
2つ目は、(「形勢判断」と対比して)「読み」の重視です。
まず、「読み」の力が強ければ、中終盤の強さにつながるのは当たり前です。この点で、1つ目の観点と2つ目の観点には重なる部分があります。
しかし、「形勢判断の精度」と「読みの深さ」には相反する部分もあります。
読みの打ち切りの判断は、打ち切る局面の形勢判断に左右されます。形勢判断が細かくなることで、読みの打ち切りが早くなり、読みの深さに影響が出る可能性があります。
また、それ以前の問題として「有力そうな手から読む」という時点で既に、無意識に形勢判断の要素が含まれています。形勢判断を厳しくすることで、読みの幅を狭くしていることは十分に考えられます。
深い読みに定評のある棋士として有名な佐藤康光九段の言葉から引用します。
私は対局中には「いま自分が有利か不利か」という形勢判断はあまり意識しないようにしている。
衝撃的な内容です。これを読んだ時には非常に驚きました。「形勢判断は極めて重要で、決して軽視してはならない」という先入観があったからです。
この本では、「読みの深さ」と「形勢判断の精度」がトレードオフになるような状況についても書かれています。だからこそ、佐藤康光九段は意識的に形勢判断を少なくしています。
「形勢判断が大らかな方が深く読める」のであれば、強みとして立派に成立しています。
3つ目は、形勢判断の評価軸の多様性です。
同じ互角でも、様々な互角があります。また、評価軸を増やせば増やすほど優劣の決定は難しくなります。
将棋の局面には単純な優劣だけではなく、「選択肢の広さ」「主導権の有無」「指し手の難しさ」「勝ちやすさ」「直感的に浮かびづらい手順かどうか」などの様々な要素があります。同じ局面でも、多様な視点から眺めることができます。
「互角の幅の広さ(あるいは形勢判断の大らかさ)」が「多様な視点を持つ」ことを意味するなら、それは単に大雑把という話ではなくなります。「多様な視点を持つことは強みである」という考え方も生まれます。
ご存じのように、中原誠十六世名人は「自然流」の異名を持つように、非常にバランスの取れた大局観の持ち主として有名です。
これは、2つ目の「読みの重視」とも関連しており、評価軸の多様性と読みの幅広さはリンクしています。なぜなら、「読み」と「形勢判断」は別々に切り離せないからです。
佐藤天彦名人の本来の強みは何か?
「佐藤天彦名人の本来の強みは何か?」という話の本筋に戻ります。
渡辺明竜王とは異なり、「序中盤の研究レベルの高さ」が佐藤天彦名人の本来の強みとは思えません。それよりはむしろ、佐藤天彦名人はもともと別の強みを持っていたので、その強みに「序中盤の研究レベルの高さ」が加わることによって飛躍した、と考えた方が納得できます。
本人の言葉を調べてみると、やはり序中盤は昔からの強みではなく、むしろ苦手意識を持っていたことが分かります。
昔はもっと終盤偏重型でした。序盤中盤が雑で、ほぼ終盤力に頼ったような指し方でした。奨励会三段までは序盤の勉強の仕方さえもよく分からないみたいなところもあって(笑)。
『将棋世界2015年10月号、王座戦挑戦者インタビューより』
佐藤天彦名人の強みについて、他のプロ棋士はどのような見方をしているのでしょうか?
阿久津主税八段「天彦君は差を広げられずについていく技術がずば抜けている。・・・相当苦しいと思うけど、天彦君の中では頑張れるレベルなんでしょうね。懐が深くて、中原名人みたいな大局観だ。」
『A級順位戦総括 & 名人戦展望対談(将棋世界2016年5月号)』
村山慈明七段「以前からですが、天彦は自分の将棋に相当自信を持っています。悪手を指した感触のないような多少の不利なら、終盤の粘りと逆転術で勝つことができると見ているのではないでしょうか。」
『将棋世界2015年11月号、p.24』
戸辺誠七段「以前の天彦さんは、腕力はあったけど序盤だけは苦労していた。順位戦でもよくベテランの先生のうまさにやられていた。そこが改善されたのだと思います。」
『将棋世界2016年4月号、p.28』
このように、他のプロ棋士の目線でも、中終盤の評価の方が高いことが分かります。
特に、佐藤天彦名人の中終盤の粘りや逆転術には定評があり、『佐藤天彦の積み重ねの逆転術(将棋世界2016年3月号)』という講座になっているぐらいです。この講座では、形勢が悪い局面での様々な考え方のパターンについて解説されているのですが、最後にとても印象的な一文があります。
将棋というゲームは勝ち負けを争うのが前提ですが、いろいろな要素や価値観があります。優勢のときにうまい勝ち方をするとか、互角のときに豪腕で乗り切るとか。それと同じで、悪いときにどう耐えるか、しのぐかも将棋の醍醐味のひとつなのです。そう思えれば、非常に苦しい局面でも興味をもって考えられるでしょう。僕も実際、そういう気持ちで悪い局面を指しています。
『佐藤天彦の積み重ねの逆転術(将棋世界2016年3月号)』
逆転勝ちが得意な棋士の中でも、致命傷を避けるのが得意なタイプ、開き直って悪い局面を面白がるタイプ、不屈の精神力を持っているタイプ、逆転の雰囲気を作るのが上手いタイプなど、その特徴は様々だと思います。
佐藤天彦名人はどのようなタイプに見えるでしょうか?
いずれにしろ、佐藤天彦名人が昔から得意だったのは中終盤の方で、特に逆転術に強みがあるというのが事実のようです。
将棋ソフトの逆転術に欠けている2つの要素
ところで、悪い将棋をどのように逆転したらいいのか、将棋ソフトの読み筋や評価値は教えてくれるのでしょうか?
ある程度は教えてくれるでしょうが、将棋ソフトの一番の強みは逆転術ではないと思います。
その1つ目の理由は、評価関数が逆転術のためには最適化されていないからです。
将棋ソフト同士の対局では、「評価値が500を超えるとまず逆転しない」というような基準があるようです。そうすると、将棋ソフトにとって最も重要なのは、評価値で500以上の差をつけられないことになります。このことから、将棋ソフトは評価値500以内の領域における形勢判断の精度が高くなるように評価関数が最適化されていると予想できます。
しかし、「将棋の逆転術」という言葉を使うときに、普通はもっと形勢が離れた局面からの逆転を意味することが多いと思います。
2つ目の理由は、評価値という唯一の判断軸を設定しているからです。
評価関数自体は無数の判断要素が含まれている複雑なブラックボックスです。しかし、評価値という数字に落とし込む時点で、判断軸の多様性は失われます。
たとえば、評価値がほぼ同じで、具体的な指し手が非常に難しい局面と、指し手が分かりやすい局面の2つがあるとします。このような場合、指し手の難しさに関係なく、評価値がたった1点でも有利な方をソフトは選ぶでしょう。将棋ソフトは、「手順の難解さ」「勝ちやすさ」などの価値観を持っていません。
これらの2点から、将棋ソフトの一番の強みは逆転術にはないと予想できます。それに伴い、将棋の勉強法や研究法としても、将棋ソフトで一番強化しやすいのは逆転術の部分ではないと考えられます。
佐藤天彦名人と将棋ソフトのまとめ
佐藤天彦名人の強みは、中終盤での粘りや逆転術にあります。また、その強みは価値観や評価軸の多様性に基づいている可能性があります。一方で、形勢判断における将棋ソフトの強みは評価値500以内の領域にありますし、逆転に必要な視点の一部は明らかに抜け落ちています。したがって、佐藤天彦名人の本来の強みと、将棋ソフトで最も強化できる部分は一致していないと考えることができます。
このことから、佐藤天彦名人の相対的な弱みの部分を、将棋ソフトでの研究が上手く補っている可能性が十分に考えられます。
羽生善治三冠と棋譜データベース
出典:https://kifulog.shogi.or.jp/ouza/63_05/
コンピュータが将棋界に大きな影響を与えたのは、将棋ソフトが初めてというわけではなく、実は昔にも「棋譜データベースの整備」という大変革がありました。
棋譜データベースの存在によって、序盤定跡の精密化、「新手一生」から「新手一局」の時代へ、勝率イメージによる戦型選択、など将棋界の環境ががらっと変わることになります。
この辺りのことは、「新しいテクノロジーの影響」という括りで別の記事でも書いています。
棋譜データベースが整備されたのは、羽生善治三冠が20歳ぐらいの頃なので、羽生世代の活躍と密接に関わっていると思います。
そして、羽生世代で最も大きな成功をおさめたのがもちろん羽生善治三冠なので、棋譜データベースの恩恵を最も受けた一人であると言えます。羽生三冠は棋譜データベースがあろうがなかろうが最強の棋士だったと思いますが、棋譜データベースの出現が当時の将棋界において大きな環境要素になったのは間違いないです。
羽生善治三冠は、過去の寄稿やインタビューを集めた『羽生善治 闘う頭脳(2015年、文春ムック)』という本の中で、「覚える」と「発想する」のスイッチを切り替えるという表現を用いています。
「覚える(記憶)」と「発想する」は両方とも必要で、車の両輪のように働かせるのが肝要というのがその趣旨です。
しかし、個人の才能が「記憶」の方に偏っている場合もあるし、「発想」の方に偏っている場合もあると思います。もう片方が相対的に弱点になるというわけです。
じゅげむの個人的な意見ですが、羽生善治三冠の本来の強みは、どちらかというと「発想」の方にあると思っています。
私はプロになるまで、いわゆるデータについては、まったく勉強や研究をしていませんでした。すべての手を、実戦の場でとにかく一から考えていたのです。それでほとんどの対局において序盤でリードを許してしまい、中盤と終盤で何とかもがいて接戦にしていたという状態でした。プロになって序盤の勉強をはじめ、一年ぐらい経ったときに、やっと考えることと知識がかみ合い始めました。車の車輪が両方とも動いたという気がしたのです。
このように、もともと羽生善治三冠はデータに頼らずに自分の頭で考えるタイプです。
記憶力というものは、「覚える能力」だけではなく、「自分で発想した新しい手順と、データとして覚えている既知の手順のどちらを選びたがるか」というような性格的な傾向も含まれています。
羽生善治三冠が新しいチャレンジを好む性格であることはご存じだと思います。この点でも、どちらかというと「記憶」よりは「発想」の方がやや優位ではないかと考えられます。
渡辺明竜王と比べると分かりやすいのですが、竜王の方がわりと保守的で確実性を求めます。
何か新しい発想を思いついても、しっかりと研究して覚えてから実戦に投入するパターンが基本のようです。すなわち、渡辺明竜王の将棋の基本として、「発想」よりは「記憶」に重きを置いた戦略があります。
逆に考えると、羽生善治三冠の将棋はやはり「記憶」を最大限に生かすようなスタイルではないと思います。渡辺明竜王のようなタイプと比較すると、「記憶」の部分は相対的な弱みになっているはずです。実際に羽生善治三冠は、データが重要となる最新流行形よりも、タイトル戦番勝負のカド番でよく見せるようなやや力戦調の将棋の方がよく勝っている印象です。
このように、「記憶」あるいは「データの勉強や研究」は、羽生善治三冠にとって一番の強みではない部分になります。
羽生善治三冠の相対的な弱みが、氏の言葉通りに「データの勉強や研究」であったとすると、棋譜データベースはその弱点を補うのにぴったりのテクノロジーだった可能性があります。
あくまでも、最高峰のレベルでの相対的な弱みですよ? 羽生善治三冠の記憶力が弱点と言っているわけではないです。
羽生善治三冠にとって、自分の頭で考えて新しい「発想」を産み出すことが、利き手の右手を使うようなものだとします。そうすると逆に、「記憶」あるいはデータの勉強や研究は、利き手とは反対側の左手を使うことに対応します。そして、どうやら将棋というゲームは、右手も左手も器用に使えることが重要のようです。さらに言うと、右手と左手を同時(?)あるいは交互に使うことによって素晴らしい絵が描けるらしい・・・。
新しいテクノロジーをどのように味方につけるか?
最後に、将棋ソフトと棋譜データベースを「新しいテクノロジー」という括りでまとめて、共通する課題について書いて締めくくります。
新しいテクノロジーが生まれると競争環境が変化します。激変する場合もあります。そして、まず大事なのが「その変化が自分にとって有利に働くか不利に働くか」の判断です。
また、どのように有利にできるかが鍵となります。
一つの考え方として、「自分の弱点を補うためにテクノロジーを活用する」という方法は有力だと思います。
そのためにはまず、自分がどのようなタイプかを把握することが必要です。
持って生まれた才能は変えることができないし、また、やみくもな努力も効率が悪い。自分の特徴に気づき、適切な努力をすることこそが、これまでの自分を変えるための最良の方法なのではないだろうか。
『覆す力(森内俊之著、2014年)』の前書きより
森内俊之九段は自著の中でこのように述べています。そして、同じ本の中で、自分がどういうタイプの棋士なのかを理解するために「島研」での経験が役に立ったと書かれています。島明九段、佐藤康光九段、羽生善治三冠の3人と比べることで、自分の本来の強みと相対的な弱みへの理解が深まったというわけです。
不幸にもどうやら環境変化が自分にとって不利に働きそうだったら?
環境変化に対する人間の行動は、①環境への適応、②新天地の開拓、③現在のスタイルを固持、の3つのパターンに分かれます。
新天地の開拓は有力です。渡辺明竜王の阪田流向かい飛車などはその模索だと思います。
もし新天地を切り開けないならダメージコントロールをするしかないです。不利になることは承知で、それが致命的にならないように。気分的にはつらいですが、不利を認めてのダメージコントロールも立派な対応策です。