将棋界の大きな流れを考えたときに、何らかの「技術革新」が大きな影響を与えていることが多いと気付きます。
技術革新というと科学技術に関連した新しいテクノロジーを真っ先に思い浮かべますが、将棋の盤面の技術は、希有な能力を持った天才的な個人によって技術革新が進むこともあります。
将棋界に限らず、現代社会はテクノロジーによって価値観が引っ張られているという面があります。新しいテクノロジーが生まれると、そのテクノロジーが映す未来に、多くの人々が夢やビジョンを抱くようになるという具合です。
逆に、夢やビジョンが先にあり、それらを実現するために新しいテクノロジーを開発するという順番もありえます。実際に、夢やビジョンが先で、テクノロジーが後、という時代もあったと思います。
しかし、最近の世の中では、まず先にテクノロジーがあって、そこに人々が夢を乗せるという流れが多いのではないでしょうか。そして、人々の夢やビジョンの力が集合的に働くと、新しい時代を切り開く原動力となります。
それでは、将棋界の技術革新はどのように進んでいるのでしょうか?
それが本記事のテーマです。時代を象徴する出来事を時系列に並べて、技術革新と将棋界の流れについて考えたいと思います。
谷川名人の誕生と終盤の技術の向上 1983年~
「光速の寄せ」が代名詞である谷川浩司さんは、将棋の終盤の技術を変えたと言われます。
「技術革新」というとコンピュータ技術に代表される科学技術を思い浮かべますが、将棋は頭脳ゲームの世界なので、一人の天才が技術を前に進めてしまうこともあります。
その谷川浩司さんが21歳の若さで名人位を奪取したのが1983年6月です。
しかし、「技術革新」と「夢やビジョン」の関係性で言うと、「終盤の強さが圧倒的なら無双できる」というようなイメージ自体は、もっと以前からあったのではないでしょうか?
終盤の技術については、「夢やビジョン」の方が先行していて、それを具体的な「技術」として谷川浩司さんが盤上で表現した、という順番のように見えます。
米長邦雄さんが、詰将棋の古典傑作集である『詰むや詰まざるや』を「全部解けば最低でも四段になれる」「私の修業時代に全問解いた」と語ったことから、奨励会員がこぞって挑戦していた時代でもあります。
棋譜データベースの整備と羽生世代 1990年頃~
棋譜データベースの整備は、将棋界におけるテクノロジーの進歩の一つです。
この新しいテクノロジーをいち早く活用したのが羽生世代です。
実は棋譜がデータベース化された正確な時期を知らないのですが、どうやら羽生善治さんが20歳前後の時期らしいです。すると、1990年頃ということになります。
そして、定跡書の金字塔『羽生の頭脳』の初版が1992年です。
棋譜データベースの活用による定跡の整備が一つの形になったと言えるでしょう。あるいは、『羽生の頭脳』シリーズの出版が、その後の定跡の整備の流れを加速させ、棋譜データベースの活用をさらに広めたと言えるかもしれません。
棋譜データベースの活用がプロ棋士の間で広まるようになったのは、単に棋譜データベースがシステムとして整備されたことだけが理由ではなかったと思います。
その前に、谷川浩司さんや米長邦雄さんなどの影響によって、プロ将棋界全体として終盤の技術が大きく向上したことも理由の一つなのではないでしょうか。
終盤の技術が全体的に上がると、終盤で逆転が難しくなるので、序中盤から差を広げられないようにする必要があります。
そのような要請と、棋譜データベースというテクノロジーが結びついて、将棋の序盤を見直そうという大きな流れになったのではないかと思います。
「必要は発明の母」と言われるように、何かしらのニーズがあって、それを原動力にして技術革新が起こるというのは自然な流れです。序盤の見直しのニーズが高まっていた所に、棋譜データベースが整備されたとなると、若くて野心的な棋士達が飛びつくのは当然です。
「修業時代は、まずは終盤の勉強、それから序盤の勉強」というのは、将棋の勉強法としては王道だと思うのですが、羽生世代の棋士達にとっては時代の流れがそれを後押ししました。
藤井システムの「革命」と新戦法への夢 1995年~
新しい時代は一人の天才によってもたらされる場合もあります。藤井猛さんが創り出した新戦法である藤井システムは、将棋界に新たな風を吹き込むことになります。
藤井システム以後、当時の常識ではあり得ないと思われていた戦法が次から次へと生まれ、将棋の根本的なセオリー自体にまで変容をもたらしました。
本記事の冒頭で述べた「技術革新」と「夢とビジョン」の関係性について言うと、藤井システムについては、「技術革新」の起こりと、多くの人々が「夢」を抱くようになった時期のタイムラグが比較的短いです。
藤井猛さんによる居飛車穴熊対策としての藤井システムのデビュー局が1995年12月です。そして、藤井さんが当時の谷川竜王から竜王位を奪取したのが1998年なので、その間わずか3年程度ということになります。藤井システムの登場は、序盤戦法における「革命」と言われますが、その起こりが1995年として、藤井さんが竜王位を保持しており絶大な影響力を持っていたのが1998~2001年頃です。
当時の将棋界の雰囲気をよく知っているわけではありませんが、藤井竜王に影響されて振り飛車党になった奨励会員は相当な数だったようです。また、四間飛車ではなくても、藤井竜王のように新戦法で一山当ててやろうと考えた棋士は多かったのではないかと思います。
しかし、この時代に、藤井猛さんだけが画期的な新戦法を開発したわけではありません。
新戦法開発の大きな流れがこの時代にはあって、藤井システムは大きな成功を収めた代表例と考えることもできます。
実際に、ゴキゲン中飛車を開発した近藤正和さんの四段デビューが1996年、中座真さんが横歩取り8五飛戦法を初めて指したのが1997年など、これまでの常識を変える新戦法を開発しようとする試みは、藤井システムだけではなく同時期にいくつも生まれています。
この原因は、一つ前の時代の技術革新である「棋譜データベース」の反動でしょう。従来からある矢倉などの定跡があまりにも整備されすぎてしまったために、あるいは最新情報へのアップデートの必要性が早くなりすぎてしまったために、その枠組みから飛び出そうとするモチベーションが強く働いたはずです。
このように、将棋界の大きな流れとして、たしかに新戦法を模索する潮流はいくつも生まれつつありました。とはいえ、藤井システムはその中でも別格です。
将棋界全体に影響をおよぼすレベルの「技術革新」としては、やはり藤井システムでしょう。もし、藤井システムのような完成度、高度な体系性、革新的な思想がなかったら、将棋界の流れを大きく変えることはなく、せいぜい「有力な一つの戦法が発見された」という程度の影響力にとどまったと思います。
一手損角換わりの流行 2003年~
藤井システムを中心とした新戦法の開発の流れは、さらに大きなうねりとなり、「一手損角換わり」という象徴的な戦法の流行に繋がります。
一手損角換わりは、後で述べる「糸谷竜王と山崎叡王の誕生」とも縁の深い戦法です。
一手損角換わりとは「効率性」の観点から捨てられていた戦法の代表格です。
その名が示すように、序盤からあえて一手損(しかも後手番で)するという、おおよそ理があるとは思えない戦法です。
本記事のテーマである「技術革新」の観点から言うと、「過去に捨てられた形を拾う」技術と言っていいかもしれないです。
藤井システムの時代には、新戦法を成立させるための「ロジック」があったと思います。決して、「駄目そうな形でも拾ってみる」という意識ではなかったはずです。
むしろ、藤井システムは卓越したロジックの組み立てによって、因習的な従来戦法の枠組みを打破したとも言えるわけです。
たとえば、藤井システムの「居玉」は従来の常識に反します。しかし、①居玉の方が端攻めをした場合に戦場から遠い、②相手が穴熊に手数をかけている間に攻撃に手数をかけるべき、など「一見するとそれまでの常識とは異なるが、説明されれば十分に納得できるロジック」を持ち合わせた戦法だったわけです。
しかし、一手損角換わりまで行くと、もはや「ロジック」が行き過ぎて「何でもあり」になってしまった感があります。すなわち、ロジカルな能力を高めることによって、屁理屈も通るようになってしまったということです。
実際に、一手損角換わりは勝率4割の戦法として有名です。
たしかに、普通の角換わりと比べて、「棒銀、早繰り銀、腰掛け銀などのバリエーションが多彩で可能性に富んでいる」と言えなくもないですが、結局のところ「効率性」の観点から序盤の一手損は不利なわけで、それは勝率に如実に表れているというわけです。
コンピュータ将棋の飛躍と電王戦 2010年~
最近のコンピュータ将棋が象徴しているのは「シンプルな強さ」の追求です。
「シンプル」という言葉をあえて使った意味は、技術革新の成果がレーティングや評価値といったシンプルな数値に落とし込まれているために、「強さ」とは別の「個性」が隠されてしまっているからです。
時期的には、女流のトップ棋士である清水市代さんに、将棋ソフトの「あから2010」が勝利した2010年ぐらいから大きな流れになっています。この流れが、2012年の米長邦雄 vs ボンクラーズ戦、2013~2015年の3回にわたる電王戦(プロ棋士 vs 将棋ソフトの5対5の団体戦として)と続きました。
電王戦が将棋界のみにとどまらない大きなニュースになったのは、「将棋ソフトが現役のプロ棋士に勝利した」という1点に尽きます。
コンピュータ将棋の研究開発の歴史はもっと長いのですが、電王戦で騒がれたのはコンピュータ将棋の「強さ」と言っていいでしょう。「強さ」が先にあり、その上でコンピュータ将棋の特徴などが議論されたわけです。
コンピュータ将棋はしばしば黒船に例えられます。コンピュータ将棋界とプロ将棋界はもともと別の歩みをしていて、力をつけたコンピュータ将棋が、突如として黒船のように現れたというわけです。
しかし、歴史に必然があるように、「一手損角換わりの流行」から「コンピュータ将棋と電王戦」までの流れにも何かしらの必然はないのでしょうか?
一手損角換わりが流行した時代の「何でもあり」な風潮を肯定的に捉えると「あらゆる可能性を探る」となります。
少々こじつけになりますが、あらゆる可能性を模索した結果として、それが強さに結びつくのであれば、プロ将棋界とコンピュータ将棋界の歩みはリンクしていたことになります。
そのことは、次で述べる糸谷竜王と山崎叡王の誕生ともリンクしています。
糸谷竜王と山崎叡王の誕生 2014年、2015年
電王戦と同時期の将棋界のビッグニュースと言えば、糸谷竜王の誕生です。竜王戦の最終局が2014年12月なので、第3回電王戦と電王戦FINALの間の出来事です。
糸谷将棋の特徴は何かと言われると、「薄い玉を好む」「特に入玉を好む」「一手損角換わりのスペシャリスト」などです。特に後手番でその傾向が顕著だと思うのですが、玉の堅さや効率を重視する現代将棋の対極にある将棋です。
一方、山崎初代叡王の誕生はつい最近の2015年12月の出来事です。
山崎将棋の特徴は、「独創的」「他人と同じことをするのを好まない」「変な形をまとめるのが得意」などです。また、現在多用しているかどうかはともかく、一手損角換わりの棋書を書いているぐらいなのでスペシャリストの一人です。
糸谷哲郎さんと山崎隆之さんは仲の良い棋士同士として知られていますが、二人の将棋には共通点が多いです。「現代将棋の主流派ではなく異端」「変な形をまとめるのが得意」「一手損角換わりを好む」などです。
一手損角換わりが、一つの時代を象徴する戦法であることは既に述べました。
「変な形」の「変」とは何でしょうか?
それは「見慣れない」、つまり「頻度が低い」ということです。
「変」というのは「善悪」の判断基準というよりも、むしろ「頻度」のことです。
そして、なぜ頻度の違いが生まれるかというと、「効率」や「確率(勝率)」を重視すると、同じような形になりやすいからです。頻度が低い形は、経験が少ないので読みを省略できない、直感的にわかりづらい、という理由だけでも敬遠されがちです。
つまり、糸谷将棋や山崎将棋は、「効率的な観点からは真っ先に捨てられる形」「他の棋士が直感的に捨ててしまうような形」を拾ってあげる将棋、として特徴づけられるわけです。
この特徴は何かに似ていませんか?
それは、コンピュータ将棋です。コンピュータ将棋は、プロ棋士が一瞥もしないような手を含めて、あらゆる手の可能性を網羅的に読むことが強さの源泉です。
コンピュータ将棋の飛躍と、糸谷哲郎さんと山崎隆之さんの両棋士の活躍に、技術的な意味での関係は全くないように見えます。それどころか、糸谷さん、山崎さんはコンピュータ将棋からは最も離れたところにいるタイプの棋士です。
しかし、「あらゆる可能性の模索」(というよりは、通常の読みでは捨てられてしまう局面を積極的に拾う)が「強さ」に繋がるという点で、不思議な共通点があります。
次の時代の技術革新の展望 2016年~
ここからは、私の未来予想です。
次の時代の技術革新のキーワードの一つは「個性」になると思います。
シンプルな意味での「強さ」を追うことが、技術革新の最先端ではなくなるということです。
コンピュータ将棋の「強さ」への追求は、プロ棋士レベルの強さに届いたことによって一段落すると思います。開発者の情熱は別の方向に「も」向かうことになるでしょう。
羽生善治さんという絶対的な「強さ」を持つ棋士の動向も、象徴的な意味合いで時代を映すことになりそうです。
羽生善治さんの特徴と言えば、「戦法を選ばないオールラウンダー」「棋風に特徴がないことが特徴」とよく言われます。ある意味で「個性」からは最も離れた棋士です。
将棋の盤上の個性は「棋風」と呼ばれます。
そして、才能の世界である将棋界において、棋風を決める大きな要素が「才能」です。
ちなみに、この場合の「才能」とは「強さ」を決めるものではなく、「個性を決めるものとしての才能」という意味合いです。
「個性」「棋風」「才能」といったキーワードを、「技術革新」につなげるとすると、どのような展望が見えるでしょうか?
一つはコンピュータ将棋界における将棋ソフトの「個性」の研究でしょう。たしか、ドワンゴの川上会長が電王戦の記者会見で「個性」の話をしていた記憶がありますし、おそらく次の研究テーマとしては主流の一つになると思います。
この研究の発達によって、人間の「棋風」も数値化されたり可視化されるようになるはずです。既に「受けと攻めの比率」「悪手率」などの数値で、プロ棋士の特徴が分析されていますが、この手の技術が次の時代には飛躍するのではないでしょうか。
もう一つ、人間の「才能」に関しては、将棋というテーマに限定されずに、脳科学的なアプローチもあり得ると思います。脳科学というと、「またか」と思われるかもしれませんが、個人的に注目しているのは「感覚(五感という意味で)」についてです。
おそらく、数年のうちに「個性」あるいは「棋風」あるいは「才能」を象徴するような新テクノロジー、あるいは個人が現れるのではないでしょうか。とはいえ、1995年の藤井システムの1号局のように、最初の芽はこっそりと現れるかもしれないです。