「永瀬拓矢六段はどのような将棋で羽生善治棋聖に4連勝したのか?」の【中編】です。
羽生善治 vs 永瀬拓矢戦の初対局から3局目までのポイントをまとめています。
最新流行形の初対局、永瀬新手で有名になった2局目、長考合戦になった3局目のいずれも非常に面白い将棋です。それぞれの対局で、ポイントとなった勝負所が全く違います。
将棋界最強の羽生善治さんに対して、どのような将棋で3連勝したのでしょうか?
この秘密を探るには、1局1局を丁寧に分析するしかありません。
【前編】では、対局の時期と舞台、戦型についてまとめています。
このページの目次
・初対局:最新流行形での羽生善治さんの誤算
・2局目:永瀬新手 ~研究手での勝利~
・3局目:序中盤の長考 ~永瀬拓矢さんの強い勝ち方~
初対局:最新流行形での羽生善治さんの誤算
2013年11月15日
棋王戦挑戦者決定トーナメント
戦型:横歩取り
将棋DB2の棋譜
2013年11月15日 棋王戦挑戦者決定トーナメント ▲羽生善治 vs △永瀬拓矢
羽生善治さんと永瀬拓矢さんの初対局です。
戦型は横歩取り△3三角戦法・△8四飛型です。
下図が序盤のポイントで▲4八銀を早めに上がっています。
『将棋年鑑2014』の調査によると、横歩取り△3三角戦法・△8四飛型に対して、▲4八銀を早めに上がる指し方が、2013年7月ぐらいからかなり流行しています。『将棋年鑑2014』に掲載の棋譜だけで20局以上です。
プロ公式戦の年間対局数がおそらく約2000局で、そのうち『将棋年鑑』に掲載されている棋譜は500局ぐらいです。すると、割合として4分の1ぐらいになるので、逆に『将棋年鑑』の4倍ぐらいの数が指されていることになります。
この大雑把な見積もりによると、▲4八銀はプロ公式戦で年間100局近く指されていてもおかしくない当時の最新流行形です。タイトル戦でも何度も現れています。
▲4八銀を早めに上がるメリットは、後手の指し方によって▲5八玉型か▲6八玉型を選択できることです。
上図からの指し手:△6二銀▲6八玉△7四歩▲4六歩(下図)
△6二銀で後手陣の左辺が一瞬壁型で、バランスも悪くなっています。この場合は▲6八玉と上がる手があります。上図の先手陣は相掛かりでよく現れそうな形です。
△6二銀の代わりに、△7二銀や△9四歩だと、▲6八玉ではなく▲5八玉の実戦例が多かったです。たとえば、△2四飛と飛車交換を迫られたときに、▲6八玉型だと飛車の打ち込みに対して先手陣のバランスが悪いようです。
上図からの指し手:△7五歩▲同歩△8六歩▲同歩△同飛(下図)
上図が本局の大きなポイントの一つです。
ここで実戦では、▲3三角成△同桂▲8八歩(左下図)でしたが、▲8七歩△7六飛▲3三角成△同桂▲6六角(参考図1)の選択肢もありました。2014年1月の▲横山泰明vs△佐々木勇気戦では、先手が参考図の手順を選んで勝利しています。
▲8八歩と下に打って我慢する形は、普通はあまり良い形ではありません。特に、▲6八玉型だと7九の銀が動けないですし、玉が近いので▲8八歩が壁になる危険性もあります。実際に、この後の局面で先手玉の左辺が壁型になり、最後まで苦しんだ一局となりました。
▲8八歩以下、△2五歩▲2八飛△7二金▲4七銀△8四飛▲3六歩△2四飛▲2七歩△7三銀▲7七金△8四銀▲6六金△7五銀(下図)と進みます。
先手は歩得で局面を収めたい所ですが、飛車の転換から△7三銀~△8四銀~△7五銀の進出が機敏で、どうやら後手の攻めがつながりそうです。△7五銀は一見タダ捨てのようですが、▲同金に△8六角の王手金取りで取り返せます。
上図の△7五銀の局面は既に後手ペースのようです。以下、▲同金△8六角▲7七歩△7五角▲7八銀△6四角▲3八金△4四歩▲3七桂△4五歩(下図)と進みます。
王手金取りで打った角が、△6四角から飛車のこびんの急所を狙います。△4四歩~△4五歩から先手陣の右辺は潰され、後手優勢になりました。
△8六角に対する▲7七歩~▲7八銀も左辺が壁になって疑問のようです。代わりに、▲7八玉~▲6八銀の方が勝っていました。
先手陣の右辺は潰される展開で、左辺は壁形の悪形です。ここからは永瀬拓矢さんがそのまま押し切って勝利しています。
この一局はどのように見たらよいのでしょうか?
たまたま、後手に上手い攻めの手順があって、先手が局面を収め切れなかったと考えるべきでしょうか?
最新流行形で後手から横歩取りに誘導しているので、永瀬拓矢さんの研究勝ちという見方もできます。
しかし、▲4八銀に対する△6二銀に16分、▲8八歩に対する△2五歩に29分で、先に多くの持ち時間を使っているのは永瀬拓矢さんの方です。
一方で、羽生善治さんは本局の大きなポイントとなる▲3三角成~▲8八歩と受けた所でも、ほとんど持ち時間を使っていません。持ち時間の使い方からすると、本譜の展開が予定通りに見えるのですが、その後の▲3六歩に34分、▲2七歩に14分、▲7七金に15分と一手ごとに考えています。苦しそうな持ち時間の使い方です。そして、△4四歩に対する▲3七桂の57分が最後の大長考で、このときは、おそらくはっきりと劣勢を意識していたと思います。
奇妙なことに、持ち時間の使い方からすると羽生善治さんの方から誘導した局面に思えるのですが、形勢は永瀬拓矢さんのペースになっています。羽生善治さんに何か誤算があったのでしょうか?
仮に、▲3三角成~▲8八歩の選択がやはり疑問だったとします。すると、永瀬拓矢さんの△2五歩の長考の意味は次の2通りが考えられます。
1.意外だった。有力だと思っていなかったので、それほど深くは研究していなかった。この後の展開を読むために長考した。
2.十分な研究があり、後手がやれると思っていた。しかし、指したのが羽生善治さんなので、何か見落としがあるのではないかと疑って長考した。
1と2の違いは、永瀬拓矢さんが▲8八歩の局面を十分に研究していたか否かですが、これはどちらとも言えないです。持ち時間を眺めてみても断定はできません。すると、本当に永瀬拓矢さんの研究勝ちだったのかどうかは分からない、ということになります。
研究勝負にはならなかったとすると、単純に羽生善治さんが疑問手を指したから悪くなった、という見方もできます。
たしかに、羽生善治さんの序中盤が不用意だった一局のようにも見えます。
序盤の勝負所でポンポンと進めてしまい、気付いたら悪くなっていて、
主導権を握られて、対応に追われながら劣勢で持ち時間を使うパターンです。
永瀬拓矢さんが画期的な新手を出したという雰囲気でもないです。
真相は分かりませんが、「最新流行形でいつの間にかペースを握られていた」というのは間違いないようです。
これは想像ですが、羽生善治さんの目線としては、永瀬拓矢さんの研究手順にやられたのか、それとも単に自分が疑問手を指して悪くなったのか、敗因がどちらか判然としないような負け方だったのかもしれないです。
一方で、先手の構想を的確にとがめた永瀬拓矢さんの指し回しは見事です。
早めの仕掛け、銀の進出、急所の歩突きなど、非常に機敏でシャープな印象を受けます。
2局目:永瀬新手 ~研究手での勝利~
2013年12月20日
棋王戦挑戦者決定トーナメント
戦型:相矢倉・▲3七銀戦法
将棋DB2の棋譜
2013年12月20日 棋王戦挑戦者決定トーナメント ▲永瀬拓矢 vs △羽生善治
羽生善治さんに棋王戦で2連勝したことが話題になった一局です。
永瀬新手▲6六桂が、相矢倉の新たな定跡となった一局でもあります。
戦型は相矢倉の▲3七銀戦法(▲4六銀▲3七桂型)でガチガチの定跡形です。
定跡通りに80手ぐらいまで進み、下図の87手目▲6六桂が永瀬新手と呼ばれる一手です。
▲6六桂以下は、△4三金▲7四桂△6九銀▲6八金引△7八銀成▲同金△6七金▲同金△3三金▲8二桂成(下図)と進みます。
以下、△6七飛成▲7八金△6九馬▲6八金打△同龍▲同銀△7八馬▲同玉△6六桂▲7七玉(下図)で先手玉は寄らず、ここから10手ほどで永瀬拓矢さんの勝ちとなりました。
永瀬新手▲6六桂の直前まで実戦例があるような定跡形なので、本局自体の解説をするよりも、定跡の中でのこの局面の位置付けを理解した方が分かりやすいと思います。
詳しくは、将棋世界2014年4月号の『イメージと読みの将棋観・Ⅱ』に解説があります。
それによると、昔から課題とされていた局面らしく、問題意識自体は持っているプロ棋士が多かったです。しかし、長い間プロの公式戦では現れなかったので、長い時間をかけて定跡が一歩前に進んだ例と言えます。
その定跡を一歩前に進めたのが、本局の永瀬拓矢さんと羽生善治さんです。
▲6六桂の局面自体はまだ難しい所も残っているらしいですが、
本局では、永瀬新手▲6六桂によって永瀬拓矢さんが勝利しています。
この勝利をどのように位置付けたらよいでしょうか?
永瀬拓矢さんの目線では、準備していた研究手で勝利した一局です。
羽生善治さんの目線では、研究手で討ち取られたと考えることもできますし、
あえて相手の研究手順に踏み込んだ一局と考えることもできます。
棋譜の消費時間を見ても、どちらか断定することは難しいです。
しかし、この定跡は後手に変化の余地が少なく、先手が誘導すれば永瀬新手の局面になる可能性は高かったようです。
対戦相手が定跡の深い局面まで研究する棋士かどうかは、事前に作戦を練る段階でかなり大きな判断材料になります。
そして、次局では比較的早い段階で、おそらく羽生善治さんの側から定跡を外しています。
3局目:序中盤の長考 ~永瀬拓矢さんの強い勝ち方~
2015年8月3日
竜王戦決勝トーナメント
戦型:矢倉・早囲い
この対局の棋譜は、Web上の竜王戦の公式サイトにあります。
2015年8月3日 竜王戦決勝トーナメント ▲永瀬拓矢六段 vs △羽生善治名人
棋王戦での2局目から、1年8ヶ月以上が経ってからの3局目です。
この対局では、序盤から中盤にかけて両者が長考合戦をしています。
前局とは異なり、研究勝負ではないことが分かります。
相矢倉で早囲いの出だしです。(下図)
上図からの指し手:△7五歩▲同歩△同角▲7八玉△6四角▲3七銀△7二飛▲4六銀△4四銀(下図)
手順中の△7二飛の時点でかなり珍しい指し方のようです。どうやら本局では、羽生善治さんの方から積極的に未知の局面へ誘導しています。
上図の△4四銀に、羽生善治さんは昼食休憩を挟んで34分の長考です。
持ち時間5時間の対局なので、30分以上はなかなかの長考と言えます。
以下、長考合戦が繰り広げられます。
56分の長考で▲5八飛
35分の長考で△7三桂
35分の長考で▲7六歩(下図)
この長考合戦は完全に未知の局面に突入したことを意味しています。序盤の勝負所です。
以下、△9四歩▲9六歩△7一飛▲6八角△3一玉▲8八銀△4二金右▲2五歩△1四歩▲1六歩△5一飛▲1八香△2二玉▲7七桂△9二香(下図)とゆっくりした展開になります。
この辺りの進行は、長考中にある程度想定していたようで、比較的早いペースで進みます。7筋で小競り合いがあった後で、互いが陣形を整備する渋い展開です。
後手は早めに△4四銀と△7三桂を決めているので、陣形の発展性が劣っています。6二の銀が動きづらいのも不満で、このようなゆっくりした展開は先手がやや指しやすいようです。
さらに、△2二玉と上がった形に弱点があり、後手は形勢を損ねてしまったようです。
ここで、永瀬拓矢さんが残りの2時間のうちの1時間を使った大長考で▲6五桂(下図)を決断します。守りの桂を攻めの桂と交換する思い切った手です。
以下、△同桂▲同歩△5三角▲4五桂△同銀▲同銀(下図)で、銀桂交換の駒得をした先手が好調です。▲4五銀と△6二銀の働きの差もあり、形勢は先手十分のようです。
ここからリードを最後まで保った永瀬拓矢さんが快勝しています。
この対局での永瀬拓矢さんは、非常に「強い」勝ち方をしています。
序中盤の難しい局面で、妥協をせずに長考し、勝負所を乗り切っています。
得られたリードを積極的な指し手で守り抜き、勝利に結びつけています。
また印象に残ったのが、矢倉の組み換え途中での▲6五桂の決断です。
▲8八銀~▲7七桂までは菊水矢倉への組み換えに見えます。
長考後から互いに自陣を整備する渋い流れが続いたので、
そのまま▲8九玉~▲7八金と菊水矢倉を完成させそうな所です。
しかし、実戦は決断しての▲6五桂からの総攻撃でした。
この総攻撃によって優勢を確実なものにしています。
初対局や2局目と、この3局目では全く印象が違います。
まず、研究勝負ではなく未知の将棋での戦いだったことです。
それに加えて、一局の将棋の中で「渋さ」と「思い切りの良さ」の両方が共存しています。
何よりも「強さ」を感じさせる時間の使い方と勝ち方が、前2局とは全く異なると思います。
実際に、今回の棋聖戦のタイトル初挑戦が永瀬拓矢さんの強さを証明しています。
以下は、本記事の一つ前の【前編】です。