将棋の格言「位を取ったら位の確保」の3つの理と例外

2014年第35回将棋日本シリーズ決勝羽生渡辺(相矢倉)-34

本記事のテーマ図は、2014年第35回将棋日本シリーズの決勝、▲羽生善治名人vs△渡辺明二冠戦からです。(参考資料:将棋世界2015年2月号)

将棋の格言には例外があります。

「位を取ったら位の確保」という格言にも例外が存在します。

しかし、そもそも格言と呼ばれるくらいなので、何かしらの理があって、その理によって多くの局面で格言が当てはまるわけです。

また、多くの局面で当てはまるということは、直感的に見えやすい手であり、ひどい悪手にはなりづらいと言えます。それならばと、精査することなしに「まあ大体この手でいいだろう」と判断して、格言通りの手を選んでしまうことも多いと思います。

ところが、ある局面で、本当に格言通りの手が最善かどうかはわかりません。

究極的には「局面による」としか言えませんが、格言を格言たらしめる理を分析することによって、格言が適用できる局面か否かを判断する指針が生まれるかもしれません。

そこで今回のテーマは、「位を取ったら位の確保」の理と例外についてです。

位(くらい)とは五段目に伸びた歩のことです。居飛車の飛車先の歩は、例外として位とは呼びません。位の例としては、玉頭位取り戦法や5筋位取り戦法を考えるとわかりやすいです。

さて、「位を取ったら位の確保」と言うからには、位を確保できないと何らかの損が生じるというわけです。それは、どんな損なのでしょうか?

(1) 一つは手損です。

将棋の初形の駒配置では、歩は三段目にあるので、五段目まで歩を進めるのに2手かかります。2手かかってやっと五段目まで進めた歩を狙われて、簡単に交換されたり、取られてしまったりすると、手損のみが残ってしまいます。   逆に考えると、相手が2手損となるならば、位の歩を交換されても手損はないということになります。

(2) 位を失うもう一つの損は、位を取ることによって得ていた駒組み(駒の働き、駒の効率)による利益を失うことです。

位を取ることによって、「相手の歩が進めない」「相手の他の駒も四段目に進めない」など、駒組み(駒の働き、駒の効率)による利益を得られます。「位によって敵陣を圧迫する」という表現がわかりやすいです。位を失うと、その利益を失ってしまいます。

しかし、位を取っても相手の駒の進出を阻止できない場合や、位によって敵陣を圧迫しているわけでもないなら、そもそもこの利益は最初から失われています。そのような場合は、位の確保のために無駄な手数をかけるよりは、他の所に手をかけた方がよいかもしれません。

(3) 三つ目の損は、争点を作るという点です。

五段目の歩は敵陣に近いので争点になりやすく、相手にとって格好の目標になってしまう場合があります。五段目の歩だけで何も支えの駒がない場合は、簡単に歩交換されたり、歩を取られてしまったりします。この場合は手損にもなりますが、相手の駒に進出されたり、歩を相手に渡してしまったりするので、単なる手損以上の意味合いがあります。   特に、争点になった位を支え切れずに、駒損までするようなケースは最悪です。

しかし、駒損の場合はともかく、歩交換ぐらいの場合でそれがどちらに利するかは、局面によるとしか言えません。争点を作ることがどちらに利するかわからない場合もあります。

(1)手損、(2)駒の働き、(3)争点。取った位を確保できないことによる損失を3つ挙げましたが、この3つは相互に関連していて、全く別々のものというわけではありません。

このような視点から、具体的な局面を調べてみると面白いです。そこでテーマ図(再掲)です。

2014年第35回将棋日本シリーズ決勝羽生渡辺(相矢倉)-34

この局面は相矢倉の定跡に現れる図で、従来は△4五歩以下、▲3七銀△5三銀▲4八飛△4四銀右▲4六歩△同歩▲同角△5五歩▲4五歩△同銀▲5五角△4四歩(図2)が一つの定跡手順でした。

2014年第35回将棋日本シリーズ決勝羽生渡辺(相矢倉)-参考図

後手の△5三銀~△4四銀右が、「位を取ったら位の確保」という格言に従った手順ですが、4筋から反発して先手十分というのが長い間の定説だったらしいです(参考:将棋世界2015年2月号、p. 95)。しかし、手順を見れば明らかなように、位の確保を目指してはいるものの、結果的に位の確保には失敗しています。

つまり、結果的に不可能な位の確保を目指すという点で、△5三銀~△4四銀右の手順が「位を取ったら位の確保」の格言に本当に従っているかどうかの時点で、そもそも怪しいと考えることもできます。

羽生vs渡辺戦では、テーマ図の△4五歩以下、▲3七銀△5三銀▲4八飛△9四歩▲4六歩△同歩▲同角△7三桂(図3)となりました。この対局では、△4四銀右と位の確保を目指さない新構想が功を奏して、後手の渡辺明二冠が快勝しています。

2014年第35回将棋日本シリーズ決勝羽生渡辺(相矢倉)-42

この手順を上記の3つの視点から分析してみます。

まず、(1)の手損に関してですが、後手の△4五歩によって、先手は一度4六に上がった銀を▲3七銀と引いているので、▲4六銀~▲3七銀の往復で先手は2手損となっています。対して後手は、(金矢倉の囲いの一部で)もともと4四にいた歩を△4五歩と突いただけなので、余分に1手かけているだけです。従って、手損しているのは後手ではなく、逆に先手が1手損しています。

次に、(2)の駒の働き(敵陣の圧迫)という観点ではどうでしょうか。羽生vs渡辺戦の手順では、▲4六歩△同歩▲同角と4筋の歩を交換して、4六に角が進出しています。しかし、4六の地点はもともと銀が進出しようとしていた場所で、4六銀―3七桂型が先手の狙いでした。少なくとも後手は、4六銀―3七桂型を阻止したと言えるので、4五の位を取った意味はありました(位を確保できないとしても)。

最後に(3)の争点についてですが、△4五歩が争点になったので、4筋の歩を交換されています。もともと4四にいた歩がなくなったことにより、後手の矢倉(総矢倉)は弱体化し、先手は一歩持つことができました。しかし、これが単純な後手の損であるかどうかは怪しいです。まず、歩交換によって後手も貴重な一歩を持つことができています。それだけではなく、▲4六角と△6四角の対抗形では、4筋の歩交換が必ずしも先手の得にはならないのです。例えば、先手の4七に歩がいないことによって△4七歩と打たれる筋が生じており(角交換になると▲4七同飛は△3八角の飛桂両取りがある)、羽生vs渡辺戦でも実際に現れました。

また通常は、後手陣の4四の歩(と5三の銀)がない形の弱点で、▲3五歩△同歩▲7一角という矢倉では有名な筋が生じます。しかし、この形では▲7一角に△7二飛が非常に味の良い手になっていて、後手は4四の歩がない形を上手く逆用することができます。

このように分析すると、「△4五歩と位は取るが、△4四銀右と確保はしない」という手順は、格言には反していますが、①手損、②駒の働き、③争点、のいずれの視点から見ても悪くはないと言えます。

言い換えると、位を確保しない手に理があります。

「位を取ったら位の確保」に限らず、格言に反する手を考えてみるのは、新しい手や気付きづらい手を発想するときの一つの視点となります。格言に反する手を、単に奇妙な手と捉えたり、「結果として良い手だった」と結果論的に捉えたりするのみでは、他の局面に応用が利きません。

格言外の手や常識外の手なのに、よくよく考えてみると好手だった、というケースは少なくないと思います。その理を分析することによって、常識外の手が、常識として理解されるようになるのかもしれません。