桂馬の複合手筋の研究:郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦

手筋とは駒を効果的に使うテクニックのことです。

プロの将棋では、手筋の組み合わせによって、非常に複雑な手順が盤上に現れます。本記事ではタイトル戦の大舞台で出現した、桂馬を活用した「複合手筋」を研究します。

このページの目次

郷田真隆王将vs羽生善治名人の相掛かり戦のテーマ図

桂の基本的な手筋

  ・桂の両取り(桂のふんどし)

  ・控えの桂

  ・控えの桂 → 継ぎ桂(または、合わせの歩)

  ・桂を補充する手筋

桂馬の複合手筋「桂のふんどし+控えの桂」

基本手筋の組み合わせとして考える

「複合手筋」という思想

  ・「複合手筋」として認識することのメリット

  ・羽生善治さんの手筋本と垣間見える思想

  ・形による手筋の認識と言葉による手筋の認識


郷田真隆王将vs羽生善治名人の相掛かり戦のテーマ図

題材となるのは、2016年2月に行われたタイトル戦、第65期王将戦七番勝負第3局の▲郷田真隆王将vs△羽生善治名人の相掛かり戦です。(参考資料:将棋世界2016年4月号)

郷田真隆さんは相掛かり戦法を得意にしており、勝率が8割近くあるそうです。相掛かりは先手と後手の同意がないと成立しないので、後手番の羽生善治さんが相掛かりの注文を受けて立った形です。この将棋では、先手番の郷田さんが長考ののち序盤の早い段階から意欲的な工夫をします。後手番の羽生さんも長考の連続で対応し、非常に濃密な将棋となりました。

郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦のテーマ図

さて、本記事のテーマ図は△7四桂の局面です。

ここから後手の巧妙な攻めが決まり、先手陣が崩壊してしまいます。テーマ図の周辺での一連の手順は、桂の複合手筋を含めて、非常に精密に組み立てられていました。

複雑な手順ですぐに理解するのは難しいので、一つずつ解きほぐしていきたいと思います。


桂の基本的な手筋

まずは、桂馬の基本的な手筋をおさらいします。


桂の両取り(桂のふんどし)

桂の手筋として最も有名なのが桂の両取り(桂のふんどし)です(図1)。

図1.桂の両取り(桂のふんどし)図2.桂の利き

将棋では2つの狙いがある手が効果的です。将棋のルール上、一度に1手しかさせないので、2つの狙いを同時に防ぐのが難しい場合が多いからです。

桂は2つの離れたマス目に利きがあります(図2)。この2つの利きを活用して、2つの狙いを持たせることが桂の効果的な使い方になります。その典型例が、2つの駒を同時に「取り」にする桂の両取りです。

図1では▲5三桂で、4一の金取りと6一の金取りの両方を狙っています。後手は2つの狙いを同時に防ぐことができないので、どちらかの金を取ることができます。


控えの桂

桂の両取りがすぐに駒を取るのが狙いだとすると、控えの桂は次に厳しい手を狙う手筋です(図3)。

図3.控えの桂

桂を使ってすぐに両取りをかけられればいいのですが、実戦ではそのような状況ばかりではありません。

図3で、もし後手の3四歩がなければ、すぐに▲3四桂と打って両取りがかかります。▲2六桂の控えの桂は、振り飛車vs居飛車急戦の対抗型でよく現れる手筋で、次の▲3四桂を狙っています。

この場合、2二の角や4二の金を逃がす手はあるのですが、▲3四桂と跳ねられたときに、逃げていないもう片方の駒は当たりになります。先手の攻め駒次第では、たとえ両取りが実現しなくても▲3四桂が厳しい手になる場合がけっこうあります。また、△3三金や△3三玉で▲3四桂自体を防ぐ手は、陣形が乱れて危険な玉形になります。


控えの桂 → 継ぎ桂(または、合わせの歩)

控えの桂の一つのパターンとして、継ぎ桂(または、合わせの歩)が必要になる場合があります。

図4.控えの桂+継ぎ桂

図4は美濃崩しの手筋で有名な図です。後手陣には何も手が付いていないように見えますが、実は図4の▲8六桂の控えの桂で後手玉は詰めろになっています。具体的な手順は、▲7四桂打△同歩▲同桂△9二玉▲9三香△同玉▲8二角△9二玉▲9一角成△9三玉▲8二馬△8四玉▲7五金(図5)までの13手詰です。

図5.詰み上がりの図

上記の手順中の▲7四桂打が継ぎ桂と呼ばれる手筋です。桂を2枚使う手筋で、1枚目の桂を取られても、2枚目の桂が急所に跳ね出すことができます。「控えの桂→継ぎ桂」のように、2つの手筋を組み合わせて使うことはよくあります。

図6.控えの桂+合わせの歩

また、図6のように2枚目の桂がなくても、7筋に歩が利く場合には▲7四歩と合わせる手があります。△同歩なら▲同桂で王手が実現し、桂が1枚で済むので継ぎ桂よりも得です。このように、「控えの桂→合わせの歩」もよくある手筋の組み合わせです。

合わせの歩の場合は手抜きをされた場合が問題になりますが、次に▲7三歩成とすると何で取っても美濃囲いが乱れます。▲7三歩成△同銀▲7四歩とすれば、桂を足がかりにして歩の拠点を築くこともできます。


桂を補充する手筋

テーマ図から局面を少し巻き戻してみましょう。実は△7四桂の前にもう一つの桂馬の手筋が現れています。手筋と呼ぶには地味かもしれませんが、桂を補充する手筋です。

桂を補充する手筋

上図は自陣の3三の桂を△2五桂と跳ねた局面です。以下、▲4六角△3七桂成▲同角△7四桂(テーマ図)という流れでした。

自玉に近い駒は守備駒という認識で、攻め駒との交換は損であると考えてしまう場合が多いです。盲点になりやすい駒の補充方法と言えるでしょう。


桂馬の複合手筋「桂のふんどし+控えの桂」

さて、テーマ図(再掲)に戻ります。

郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦のテーマ図

テーマ図の△7四桂は、6六の銀に当たっています。以下、実戦は▲5五銀△8九歩成▲同飛△8六歩(下図)と進みます。

郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦(70手目)

△7四桂は両取りではないのですが、もう一つの狙いが△8九歩成~△8六歩でした。▲8六同歩とすると△同桂が7八の金取りで厳しく、先手陣を支えることはできないようです。こちらの狙いは、△8六歩の合わせの歩がクッションとして入っており、次に△8六同桂と跳ねたときに7八の金取りの厳しい手となるので、「控えの桂」の形となっています。

つまり、「6六の銀取り」と「次の7八の金取りを狙った控えの桂」の両者を天秤にかけた桂のふんどしと言えるわけです。「控えの桂の両取り」と呼びたいところですが、厳密には両取りではないので、「控えの桂のふんどし」とでも呼んでおきましょうか。

本譜の手順はある意味で、通常の両取りよりも効果的と言えます。というのは、△7四桂▲5五銀で守りの銀を遠くにどかしてから、もう一つの狙いである△8六歩を実現しているからです。△7四桂の6六の利きと8六の利きを両方とも生かす結果となっています。

「両取り逃げるべからず」の逆のような展開になってしまったわけです。

このような結果になりやすいのも「控えの桂のふんどし」の特徴と言えそうです。今すぐに厳しい手(6六の銀取り)と次に厳しい手(次に△8六桂と跳ねると7八の金取りが厳しい)の組み合わせとなっているので、手のスピードに時間差が生じています。すなわち、速い方の手を防ぐと、次に遅い方の手がやってくるという仕組みです。

実戦では△8六歩以下、▲7五歩△8五桂(下図)と進行します。

郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦(72手目)

先手は△8六歩に対して▲同歩とは取らず、開き直って▲7五歩から急所の桂を外しに行きました。しかし、上図の△8五桂からの手順も巧妙で先手陣は崩壊してしまいました。

具体的な手順としては、△8五桂以下、▲7四歩△7七桂成▲同金△8八銀▲7六金△8九銀不成▲7九銀△8八角(下図)です。

郷田真隆vs羽生善治の相掛かり戦(80手目)

捨て駒を何枚も使って、詰将棋を思わせるような華麗な寄せだと思います。


基本手筋の組み合わせとして考える

桂の補充も一つの手筋と考えると、テーマ図の周辺の一連の手順において、

・桂を補充する手筋
・桂のふんどし
・控えの桂
・成り捨ての歩
・合わせの歩

の5つの基本手筋を組み合わせています。

とても複雑な組み合わせなので、2つの基本手筋の組み合わせに分解して考えます。

・桂を補充する手筋 → 桂のふんどし
・桂を補充する手筋 → 控えの桂

は自然な流れでわかりやすいです。必要な桂馬を入手して、手筋を実行するという流れです。

・桂のふんどし + 控えの桂

プラス記号で表現しましたが、これは上記の矢印のように「順番に」実行するという手筋の組み合わせ方ではなく、「同時に」2つの手筋の要素を合わせ持っているという意味です。

・控えの桂 → 合わせの歩

合わせの歩が必要になるのは、控えの桂の一つのパターンです。素直に応じると▲同歩△同桂で、控えの桂の狙い(本譜では7八の金取りの狙い)が実現します。

・成り捨ての歩 → 合わせの歩

二歩は指せないので、邪魔な歩を成り捨ててから、合わせの歩の手筋を実行するという流れです。本譜では、△8九歩成▲同飛で玉飛接近の悪形にさせるという効果もあります。

これらの「2つの基本手筋の組み合わせ」を基礎として、さらにそれらを上手く組み合わせることにより、5つの手筋を内包した複雑な手順が盤上に実現しています。


「複合手筋」という思想

「複合手筋」という思想について考えてみましょう。本記事で研究した「桂のふんどし+控えの桂」も一つの複合手筋として捉えることができます。


「複合手筋」として認識することのメリット

「複合手筋」という言葉が一般的であるかはともかくとして、その考え方自体は目新しいものではありません。古くから「三歩あったら継ぎ歩に垂れ歩」と言われるように、継ぎ歩から垂れ歩という手筋の組み合わせ(複合手筋)は格言になるほど有名なものです。

「手筋はシンプルだからこそ価値がある、複合手筋まで手筋として認識する必要はない」という考え方もあります。すなわち、「継ぎ歩」や「垂れ歩」などのシンプルかつ重要な基本手筋のみをパターンとして把握して、あとはその場で組み合わせて考えればよいという思想です。

この考え方にも一理あります。基本手筋だけでも非常に多くの種類がありますので、さらに組み合わせるとなると複合手筋の種類は膨大になります。パターン化には、「パターンを増やしすぎると、パターン化することの意味が薄れる」という問題点があります。膨大なパターンを覚えるよりは、個々の問題を個別に対処した方がいい、ということになるからです。

しかし、あえて「複合手筋」として認識することのメリットを考えてみたいと思います。

「複合手筋」ではない基本的な手筋は広く認識されています。「継ぎ歩」「垂れ歩」「焦点の歩」「香の田楽刺し」「桂のふんどし」「桂先の銀」「銀の割り打ち」などの有名な手筋は、あまりにも定着しているので、これらの手筋が可能な局面が生じた瞬間に、とりあえず有力な候補手として頭の中に浮かんでしまうほどです。「桂を打たれたから、とりあえず桂先の銀の受けから考えてみようか」といった具合です。実際に「桂先の銀」を選ぶかどうかはともかく、真っ先に「桂先の銀」の筋が見えるのは、基本手筋として定着しているからです。

同じように、「複合手筋」を含むような複雑な手順についても、「とりあえずこの形は複合手筋がある」と一瞬で見えるようになれば、読みの精度や速さが上がるのではないでしょうか。

棋力が上がってくると、基本的な手筋については皆わかっていて、互いの読み筋に入っていることが多いです。差をつけるために、「複合手筋」として新たな手筋を増やしていくことも棋力アップの一つの方向性です。


羽生善治さんの手筋本と垣間見える思想

図7は有名な手筋本『羽生の法則1 歩の手筋(羽生善治著、2003年)』(文庫版第1巻 歩・金銀の手筋、2011年)に掲載されている局面です。

図7.手筋本『羽生の頭脳』

詳しい手順は本をご覧になっていただければと思いますが、「基本手筋」と呼ぶには少々複雑な手順です。一応、「焦点の歩」が主題となっていますが、「突き捨ての歩」「桂の両取り」などのいくつかの手筋が組み合わされています。扱っている駒も歩だけではなく、さまざまな駒が手順中に現れます。

しかし、手筋本の一項目として紹介しているということは、「このくらいの手順なら一つのパターンとして考えて構わない」ということです。意識的かどうかはわかりませんが、このような思想を見て取れます。比較的短い時間で膨大な読みをするためには、あるいは、読まなくても一瞬で判断できる局面を多くするためには、膨大なパターンを頭の中に入れておくことが重要でしょう。


形による手筋の認識と言葉による手筋の認識

もう一つ別の観点で考えてみましょう。

「複合手筋」という言葉を知らなくても、棋力が上がるにつれて、ある形を見た時に「これこれの有力な手順がある」と一瞬で見える範囲は広がります。しかし、「形や図面で認識する」と「言葉や論理や概念で認識する」というのは違います。人によってどちらかが得意という場合もあると思います。また、一つのものを両方の角度から認識するということにも意味があります。

少し話は脱線しますが、数学では「幾何」と「代数」の大きく2つに分けられます。簡単に言うと、「幾何」は図形の問題で、「代数」は方程式の問題です。そして、ある一つの問題を図形の問題として解くか、方程式の問題として解くか・・・実は、両方の視点から捉えることができる場合が非常に多いです。数学の問題では、「一見方程式に見える問題を、図形の問題として解くとあっさり解ける(あるいはその逆)」という趣向も多いです。

将棋の手筋に置き換えて考えてみると、「形から見えやすい手筋」と「言葉や論理から見えやすい手筋」の両方があると思います。片方だけではなく両方の視点から盤面を眺めることで、読み抜け防止や、気付きにくい手筋の発見に役立ちます。本記事で名付けた複合手筋「控えの桂のふんどし」も一つの言葉です。形から見えにくい場合でも、言葉をヒントとして手筋を発見できる場合もあるのではないでしょうか。